桂 春団治
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001 2018/02/10(土) 10:00:50 ID:EBcxym99rE
初代 桂春団治(1878年8月4日 - 1934年10月6日)
天才的な巧みな話術で、戦前の上方落語界のスーパースター的存在であった。
従来の古典落語にナンセンスなギャグを取り入れた大胆な改作で爆笑王として人気を集め、当時の先端技術でもあったレコードに落語を吹き込んだ。
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002 2018/02/10(土) 10:16:59 ID:75nBeivLx2
003 2018/02/10(土) 10:33:36 ID:ljPdV0TD3o
004 2018/02/10(土) 10:33:59 ID:izoBDJzt.o
酒も呑めなきゃ女も抱けぬ〜 そんなどアホは死になされ〜 ♪
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005 2018/02/10(土) 11:18:13 ID:wZEDbBfgvc
昔の芸人は遊んでいた
とかいうけど
春団治でさえ
相手は水商売か後家さんだった
素人の娘さんに手を出した時に
女将さんから離婚を切り出した
今までは水商売や後家さんが相手だったから
世間様も許してくれてはったんです
堅気のお嬢さんを騙して捨てたとあっちゃあ
世間様も許してくれません
春団治の名が傷つきます
私と別れてあのお嬢さんといっしょになりなはれ!
私は身を退きます
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006 2018/03/01(木) 15:04:42 ID:FGeldo5GRM
007 2018/08/04(土) 07:11:14 ID:gcFRX3RUZM
父・友七、母・ヒサのもと、大阪市中央区高津町二番地、現在の高津宮附近に生まれる。父は染皮細工を生業とし、主に煙草入れなどを製造していた。
4人兄弟の末っ子(長男・徳次郎、長女・あい、4歳年上の次男・元吉、三男・藤吉。元吉はのちに春団治同様落語家となり2代目桂玉団治を名乗る)。
ただし、弟子の初代桂小春団治(後の舞踊家・花柳芳兵衛)らに次のように語っている。
「わしは十一人目の子で、親が四十二の厄の年にできたのだ。それで厄年にできた子は、うちで育てては丈夫な子にはならない。これは、どこぞへ捨てるべきだ、というような迷信があったそうです。
それで自分は高津二番町から、ほど遠くない下大和橋へ生れて間もない、まだ春団治となるとも、ならんともわからない、みず児を捨てたのです。
そして人をもってすぐに拾いにいかせるように、手配してありましたが、どういうふうに間違うたのか、いく者がちょっと遅れたために、見ず知らずの人がこれを拾って、警察へ届けたのです。
いってみると子はそこにはおらなんだ。南の警察へいって事情をいうて、この子をやっともらい受けてきた。
おれは生まれたときから咄家になる素質ができとった。そんな経歴がある」。
藤吉は木下藤吉郎のように出世することを願ってつけられた。
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008 2018/09/17(月) 08:48:29 ID:SPmt/SAabE
009 2018/10/28(日) 11:51:25 ID:ilCYgVnoWQ
010 2018/12/09(日) 13:08:25 ID:QW1v1rXUuk
011 2019/01/13(日) 08:07:42 ID:WQgN5bIXfQ
012 2019/07/07(日) 10:46:19 ID:oZ257ayExI
たくさんの女を泣かした事だろう。
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013 2019/12/28(土) 12:45:24 ID:nJkZhWL9Vs
014 2021/06/06(日) 15:39:22 ID:c6tdp2DnrM
015 2022/02/11(金) 12:02:06 ID:KPjjBB02pI
016 2022/05/07(土) 14:05:37 ID:4S8IiecreU
017 2022/08/28(日) 12:19:51 ID:d9J9vaQ9XQ
018 2023/04/29(土) 10:36:33 ID:Ic3npSKOYQ
019 2023/09/18(月) 15:02:45 ID:71w5O7fovM
020 2023/12/29(金) 13:11:33 ID:up71minZIo
021 2024/02/12(月) 12:28:30 ID:RMP39j8Pjk
022 2024/05/11(土) 12:58:59 ID:ZPd4RzhU9g
023 2024/05/18(土) 13:54:23 ID:6QKK4Bm6dA
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