世界最強の遊牧民族はなぜ没落したのか?


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001 2010/09/07(火) 10:19:30 ID:wEc.f2rGh2
スキタイ→匈奴→モンゴル→元
広大なユーラシア大陸を制覇したのはいつもこの騎馬部隊の民だった
武力で各地の民族の自由を奪いつつも元のクビライは支配地域の通貨を統合し
物資と文化流通の妨げを次々と破壊し世界をひとつにしようとした
要するに13世紀にグローバリズムが始まっていたわけだ
これほどまでに強烈な影響力を果たした遊牧民文明はなぜ没落したのか?
それをテーマに歴史論を語りたい
なお彼らの末裔はいまやユーラシア大陸の東の果ての半島に残るのみとなってしまったが
世界征服の野望はいまも保ち続けているという

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002 2010/09/07(火) 10:23:24 ID:2EuO12QxkE
いまは日いずる国の国技に進出していますね。

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003 2010/09/07(火) 11:27:13 ID:qglOiEZepo
なぜって そりゃあ おめぇー 場所中に酒飲んで 人を殴ったチンカスだからだろよ

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004 2010/09/07(火) 11:48:07 ID:MnXG1AkuWs
>なお彼らの末裔はいまやユーラシア大陸の東の果ての半島に残るのみとなってしまったが
はいはいエロスエロス

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005 2010/09/07(火) 12:01:20 ID:jBOX/Uirhc
>なお彼らの末裔はいまやユーラシア大陸の東の果ての半島に残るのみとなってしまったが

はぁ??
こういう史観韓国人は持ってるのかねー
韓国はモンゴルに凄い進出してて、モンゴルは反中でそれに飛びついたんだけど
酷い振る舞いで、最近は反韓感情ものすごい
日本人が行くと、中国人とか韓国人に間違われてとばっちり食うこと多いらしい。
(日本という国自体は好意的みたいだけど、ぱっと見わかんないからね)

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006 2010/09/07(火) 12:03:23 ID:8oJvAlDxbA
>なお彼らの末裔はいまやユーラシア大陸の東の果ての半島に残るのみとなってしまったが
レイプされて、遺伝子のみ残ったってこと?

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007 2010/09/07(火) 18:20:33 ID:axz1Shg4L2
>>6
そういうことを言いたいんだと思うが
現在のモンゴルにも末裔は暮らしてるから、意味が分からないけどね…

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008 2010/09/07(火) 21:42:09 ID:D4px23shOk
気候変化、兄弟分裂、火器の発達

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009 2010/09/08(水) 10:46:14 ID:6q.pspcGdE
あれ?ダグワドルジって左利きじゃなかった?
右でも弓しぼれるんだ

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010 2010/09/08(水) 18:10:28 ID:wnhKuHaf8o
モンゴルは内陸国だから貿易が弱い。
資本主義は貿易が重要だからね。
内陸国で近代化した国はほとんどないのだ。
ドイツくらいか?

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011 2010/09/09(木) 23:57:10 ID:syvPu7k/ps
>>10
ドイツも貿易港を持ってるよ。
ハンザ同盟とか、海運貿易で有名。

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012 2010/09/10(金) 01:06:41 ID:DZwgVkOmYc
それを言うなら、スイスとかオーストリアとかじゃね。
っても運河があるからなあ

地勢よりも、遊牧民は定住が原則の近代国家体制
に馴染まなかったんじゃないのか?

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013 2010/09/10(金) 07:42:25 ID:dAMJXjGd5U
「国民」と「領域」という概念が希薄だから、遊牧民は近代的な国民国家には成長しにくい。
それに遊牧民は元々数が多くないので、定住した場合は現地民に融合してしまう。

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014 2010/09/10(金) 21:27:00 ID:9fkYWJhXZg
征服と遠征をくり返して一時的に富を得ることは可能でも、
定着して持続的に発展させていくことには長けてないんだろうよ
遊牧の人たちはたぶん。

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015 2010/09/11(土) 06:57:15 ID:RHZk1GlK4U
大陸と半島に関わるとみんな没落しちゃうんだよ
あの二つは貧乏神だからな

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016 2010/09/11(土) 22:10:50 ID:GkK.tc8WOs:au
同意。 もう関わらないことにしようね!

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017 2010/09/12(日) 09:37:44 ID:uQmT2rxlL.
朝鮮半島は30年間に渡って万単位の奴隷をモンゴル帝国に供給し続けたんだよ。
モンゴル帝国の覇権には物凄く貢献してると思うが。。。

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018 2010/09/13(月) 01:03:31 ID:ouCa..bdoY
元寇で元の船が簡単に大破したのは、
朝鮮がわざとボロ船を作ったかららしいぜ。
ある意味、恩人だな。
朝鮮にしたら日本を助けるというより、
ただの手抜きだろうけどな。

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019 2010/09/13(月) 09:29:05 ID:7sZVBJ7OlY
>>18
それ、嘘だから。
元寇で大破したのは専ら中国製の船で、朝鮮製の船はほとんどが無事だった。
朝鮮は日本を侵略したという事実から目をそらさせるため、そういう作り話を広めてるんだよ。
日本人が侵略者である朝鮮人に恩を感じる理由など全く無い。

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020 2010/09/14(火) 16:55:04 ID:QvWg8ZrXAM
削除(by投稿者)

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021 2010/09/14(火) 21:59:13 ID:lnxKb5KdhU
文化人の輩を軽蔑して実務家を能力主義で登用して有能な官僚を組織する割に
シュウキョウにはまって浪費してみたり
王様が死ぬたびに相続でしょっちゅうもめて分裂、親族の将軍も勝ってる戦争を中断して帰国するわ、
次の王様が反対派を粛清して弱体化するので
大国になってもその体制が継続するということがない
通商は発達するが工業生産はゼロ
最終的に大航海時代になってユーラシア大陸内陸が通商路から外れたとたんとりのこされてあぼーん

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022 2010/09/15(水) 17:49:40 ID:Mj7jIYw4Gk
末子相続っていう制度がおもろいよね
上の兄弟はみんな外に羽ばたいて、末子が家に残って家を継ぐっていうやつ

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023 2010/09/16(木) 21:15:28 ID:6I7vDaWHfU
スキタイの頃から大陸を制覇した遊牧民って
結局は強奪文化でしょ
腕力で勝てなくなったら潰される運命なんだよ

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024 2010/09/16(木) 22:18:54 ID:DIhx7LkqYo
>>22

まあ、相続争いを避けるためなんだろうね。
とは言えテムジンは長子だったり・・・。

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025 2010/09/21(火) 01:42:16 ID:pBKfIOtg.k
別に世界最強とかじゃないし。
遊牧民は日頃から乗馬や弓に慣れてる分、世界の大半を占めていた
社会のあぶれ者や農民を寄せ集めただけの軍隊よりもマシだっただけ。
武士やマムルークといった生粋の戦士階級のいる国には勝てなかった。

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026 2010/10/11(月) 03:10:38 ID:vGUF428n0w
普通に火器の発達だろ。
鉄砲・大砲ができてから騎馬民族がヨーロッパ人に勝つ率は
圧倒的に下がった。

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027 2010/10/12(火) 03:06:58 ID:7fEBWwRkwI
火器の発達が戦局を左右するようになったのは19世紀からでしょ
先込め式で先攻後攻に分かれて撃ち合いしてた時代においても
騎馬突撃は戦列を蹂躙突破する戦法として最強だったよ

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028 2010/10/12(火) 09:08:17 ID:rV6ZgEuQWE:au
火薬の音に驚いて馬の制御がきかなくなる
とか聞いたんだが、どうなの?

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029 2010/10/12(火) 14:23:31 ID:7fEBWwRkwI
そんなら馬賊なんて出やしませんて
きちんと慣らせばびびらない
火器が多少進歩した程度では騎馬民族の優位性は揺るがない
騎馬民族の問題点は政治的な面に拠るところが多いでしょう

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030 2010/10/12(火) 21:58:20 ID:YS5dZ6JzLQ
欧州各国が常備軍を持つようになったから騎馬民族は勝てなくなったんだよ。
もともとプロフェッショナルな軍には勝てなかったんだから。

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031 2010/10/12(火) 22:48:22 ID:7fEBWwRkwI
んなアホな
ヨーロッパの常備軍なんて各国せいぜい数百から数千人規模なもんでしょ
マムルークだって追い返したというより途中でモンゴルのお家騒動が勃発しそうになったから
主力を本国に引き上げたせいで結果的に勝てたわけだし、実際はかなり小規模な戦いといわれてる
ワールシュタットだって騎士階級総動員したくせに一方的に負けてたじゃん
オゴタイが死んだからそれ以上のヨーロッパ侵攻がなくなっただけで、後はお家騒動で勝手に自滅しただろ
軍事集団としての騎馬民族がどれほどやばかったのはそもそも万里の長城が証明してんじゃねーか

騎馬民族の最大の失敗は規模がでかくなっても騎馬民族でいようとしていたことでしょ

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032 2010/10/13(水) 00:04:15 ID:Hz76gI.OAU
>>31
マムルークとモンゴル軍が戦ったのはアイン・ジャールートだけじゃないし。
その後も何度も戦いを挑みながらモンゴル軍はマムルークに負け続けたわけで、
質的に劣っていたのは明らか。

ヨーロッパの場合、軍事のプロである騎士団員の数が圧倒的に少ない。
軍事国家としてポーランド、リトアニアと互角に渡り合ってたドイツ騎士団がやっと2000人程度。
モンゴル軍が強かったんじゃなく、当時のヨーロッパが軍事的に惨憺たる状態だったってこと。

あと、万里の長城が証明してるのは、単に中華王朝の軍は弱いってことだけだよ。
万里の長城築いた明は、北夷南倭で倭寇にだって食い物にされてたじゃん。
まともな軍さえあれば、騎馬民族なんて鎌倉武士やマムルークみたいに楽勝できる相手。

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033 2010/10/13(水) 01:02:54 ID:3lJkxH0D7g
>>32
マムルークがモンゴル軍の主力相手に勝ったなんて聞いたことがないなぁ
本隊が帝国内部の内紛を警戒して引き返したおかげで残存部隊相手に勝ったわけでしょ
結局滅びちゃったホラズムだって一度はモンゴルの主力相手に大勝してんだから
質的な面では引けをとらなかったというのは仰るとおりだけど、実際の装備、戦術を無視して
劣っていたと決め付けるのは思いっきり無茶を言ってないかぁ?

当時のヨーロッパの軍事体制が駄目だったんじゃなくて、モンゴルの動員数が反則的だったと言うべきでしょ
だってあいつら兵站の規模から言って十万人規模で動いてたとか言われてるんだぜ?
無茶言うなよ

なんで万里の長城で明なのよ
いくら今の長城は明が完成さしたって言っても、長城そのものはもっと前からあるだろ
それにモンゴルの話ならそもそも金と南宋を引き合いに出して言うべきじゃねぇか?

あと鎌倉幕府とか陳とかは気候に助けられた面の方がでかいでしょ
なにかね、運も実力の内とか、そういうやつかね

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034 2010/10/13(水) 19:35:34 ID:Hz76gI.OAU
>>33
例えば、1277年4月16日のアブルスターンの戦いでモンゴル軍がマムルーク軍に大敗。
あと、1281年10月30日のヒムスの戦いでもモンゴル軍はマムルーク軍に大敗。
イルハン国とマムルーク朝は隣接してたから、両者は何度も戦ってるんだけど、その度にモンゴル軍は
マムルーク軍に敗れてるんだよ。

それから、ヨーロッパに侵攻したモンゴル軍が十万人規模なんてあり得ない。
そんな規模の軍を東欧で動かす兵站能力はモンゴル軍に無いよ。
1241年にポーランドに侵攻したモンゴル軍の規模を、当のポーランドの研究者は8000〜1万と見積もってる。

最後に、鎌倉武士はモンゴル軍+旧金軍+旧南宋軍に圧勝だからね。
そういった連中が全部鎌倉武士よりも軍事的に劣っていたのは明らか。
日本に関しては気候に助けられた面なんて無かったし。

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035 2010/10/13(水) 22:19:04 ID:3lJkxH0D7g
>>34
その二つについて知らんからちょっと検索してみたら、同時に2chでもまったく同じ流れを見つけたわ
http://www.unkar.org/read/kamome.2ch.net/whis/12366...

俺よか知ってる人がばっさり斬ってるからもうこの話に参加するのはやめるわ
これ以上話してても俺の無知を晒すだけですし
強い弱いのお話はあっちでやって下さいな
兵站の話は全体の話をしようとしてさもヨーロッパでもそうであるかのように書いた俺が悪いんでもういいや

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036 2010/10/15(金) 03:12:34 ID:zY1bD/Lt1E
モンゴルの兵站
タルタルステーキってのはありゃ何の肉だと思うw
すべて戦場で生産されるものを有効に現地調達

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037 2010/10/15(金) 04:03:33 ID:Z/MZQ16.9g
敵兵の死肉か。
なるほど。

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038 2010/10/15(金) 23:52:09 ID:agvau7WUSk
↓嫁

韃靼人ふうのきんたまのにぎりかた 平岡正明
販売価格: 2,800円

http://shimashima-books.ocnk.net/product/549...

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039 2010/10/16(土) 13:43:44 ID:empDZFt5hE
マッチロック式ってモンゴルとかその後継との戦いでは使われてないのかね
時代がもっとあとになるのかな?

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040 2010/10/17(日) 05:20:38 ID:seQr/3Q0r6
最強の倭人はなぜ没落したのか

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041 2010/10/17(日) 14:03:05 ID:oCyCb84daY
俺は君らよりももっとスマートにスレタイの理由を語ることができるよ。

少し長くなるが聞いてほしい。

そもそも最後に中国を支配してきたのは圧倒的に内陸部が多かった。
(モンゴル然り、秦然り)
これは地政学的に考えてじつは当然のことで内陸部に成立した国は自国のリソースを陸軍に存分に使うことができたのに対して、沿岸部の国は海洋からの侵略に備えなければならなかったために海軍、陸軍両方にリソースを割かなければならなかった。
その結果、沿岸部に成立した国は陸軍、海軍、ともに中途半端になり内陸部の国に結局負けることになる。

実はこのことに関して非常におもしろい考察ができて、なぜ中国共産党が国民党に勝ったのかを綺麗に説明できる。
理由は簡単で中国共産党は内陸部に本拠地を、国民党は沿岸部に本拠地を置いたからだ。
上記の理由により、陸軍に特化した軍隊に国民党は負けたのは歴史的事実だ。

朝鮮半島が万年負け組なのもこれに起因している。
朝鮮は海軍も陸軍も中国、日本両方に対抗するために強化せねばならず結果海軍に特化した日本か陸軍に特化した中国、どちらかに負けることになってしまうのだ。

そして中華を制するとユーラシア最大の地理的リソースを得ることができる。(農地や工場用地など)
元が世界史上最も広大な帝国を築くことができたのも一重に特化した陸軍とこの資源のおかげだ。

では話しを本題に戻し、結論に入ると、要するに大事なのは「民族の優秀性」ではなく「内陸部を制すること」なのだ。
つまり、確かにモンゴルの騎馬民族が中国内陸部を制することができたのはその騎兵によるところが大きいと思うが(しかしそれすらも地政学的要因の産物であるのだが)、中国、ひいてはユーラシアを制することができたのは地政学的恩恵に依るところが大きい。

要ははじめからモンゴル人は対して優秀ではなく歴史の大きな流れ、地政学的な要因で元を築けたということだ。

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042 2010/10/17(日) 18:04:02 ID:NVgJTsbfcI
>>41
中国ってのは陸軍に特化した軍隊じゃあ、絶対に支配できない国だよ。
歴代中華王朝がどういう侵攻過程で成立したかを調べればわかるけど、きっちり大河に沿って
支配領域を広げてるんだよね。
艦隊作って大河を支配しない限り、中国を支配することはできないの。
だから中国の歴史を左右した合戦は、みんな大河をめぐって争われてる。
金だって陸軍だけでは南宋を滅ぼすことができなかったじゃん。
一方、モンゴル帝国が南宋征服に成功したのは、陸軍国というイメージに反して徹底的に
水軍、海軍を強化したから。
その結果、元朝は歴代中華王朝屈指の海運大国として成立した。
江南地方から大都までの糧料の輸送は全て海運によって行われていたし、馬だってわざわざ
海の真ん中の済州島に牧場作って、そこから船で日常的に輸送してたんだぜ。

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043 2010/10/17(日) 18:22:48 ID:oCyCb84daY
>>41
そりゃ、全く海軍が必要ないとは言わないよ。

たださ、中国を支配する上で海軍が陸軍より重要ってのはおかしいよね。
だったらなんで沿岸部に成立した国が中国を統一してないのか?
どう考えてもおかしいだろ。
沿岸部の方が海軍が発達してるのだから。
モンゴル人の騎馬民族なんて船すらほとんど作ってないんだから。
船の建造技術だって一朝一夕で身に就くものじゃないんだから。

大河をめぐって戦いが行われたと言うが、それは陸軍の維持のために必要だからだろ。
大河に沿って進めば少なくとも水には困らないし、その周囲では大抵農業が発達してるからな。
軍隊は補給がないと前に進めないって知ってた?

君の意見だと中国を支配するためには陸軍よりも海軍の方が重要だというが、それだと中国を統一した国家のほとんどが内陸部に成立した国家だということが説明できないな。
産まれてから一度も海とかを見たことが無いような人たちの船が沿岸部の人間が作った船よりも優れていると?

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044 2010/10/17(日) 18:49:57 ID:cn8leWJRQU
スマートな考察と言う割りには資料とかデータとかは一切出てこないんだな。

あえて結論を玉虫色にしてそれっぽいことを言うんならそれはそれでアリだと思うけど、
ほとんど「こうだからこう」っていう押し付けばっかり。
マムルークとか武士とかっていう話もそうだけどさ、部分的に都合良く解釈したがるよね。
物事っていうのはもっと色んな角度から見るもんなんじゃないの?
戦争にしたってまずお互いの経済とか宗教とかから始めないといけない事象ばっかりだろ。
その辺を無視して無理やり平面化した上で1つ2つの要素を以って「原因はこれだ!」って言っても説得力あると思う?

難癖つけてるように見られるかも知れんけど、そういう一方的な決め付けはねーよ。

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045 2010/10/17(日) 19:14:01 ID:RwtJXI7pJs
まぁ、日本人より弱いってのは確か。

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046 2010/10/18(月) 11:14:10 ID:BJrcfjW1vo
その自信はどっからくるんだ

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047 2010/10/18(月) 11:43:37 ID:ryBI/3mm6Y
実際に戦って圧勝してるからだろ

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048 2010/10/18(月) 22:01:17 ID:BJrcfjW1vo
上陸戦が下手だったってんならまだしも、戦った→負けた→弱いってさすがにてきとー過ぎだろ

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049 2010/10/18(月) 22:16:59 ID:waiwpBH2J2
>>48
上陸戦が下手とかいう問題じゃない。
モンゴルは日本人の方が元に攻め込んだ時だって手も足も出なかったからな。

『結局此賊徒数千艘の船をそろえて、元朝高麗の津々泊々に押寄せて明州福州の財宝を奪い取り、
官舎寺院を焼き払いける間、元朝三韓の吏民是を防ぎかねて、浦近き国々数十箇国皆栖む人々もなく
荒れにけり。』(太平記)

モンゴルが日本人よりも弱いのは明白。

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050 2010/10/18(月) 23:11:37 ID:BJrcfjW1vo
>>49
ちげーよ
そういう限定的な情報だけ引っ張ってきて全体を語るって行為がてきとーだっつってんだよ
日本側の資料と元側の資料をぶつけて出てきた結果がそういう話だったら誰も文句なんざ言わねーよ

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051 2010/10/19(火) 00:52:39 ID:KJm9Iyo1sw
>>50
漢文UPするのってスゲー面倒なんだよ。
元側の資料でも、至大二年(1309年)に明州が日本人によって殺略焼焚之禍を被り、城中が尽く
焼き払われたのをはじめ、他にも度々襲撃を受けてる。
ちなみに明州は元朝にとって交易の中核都市だから。

『島夷歳以土物互市。郡境吏卒侵漁之、不堪以忿、持所賚流黄等薬火城中。官府・故家・民居幾尽、
観亦与。至大二年也。』(慶元府玄妙観碑銘)

『倭人入市慶元、有司不能用公前後持之道、而利其貨宝刧之以兵、反被殺略焼焚之禍』(程雪楼文集)

『先是、倭舶交易、吏卒互市、欺虐凌侮、致其肆暴、蓄毒火攻、残民骨肉、未有以大鎮之。』(道園類稿)

『甲子歳六月六日、倭賊欲犯、貞拒不絶罵、刃下死。趙天放嘗歌之有曰、「倭賊殺民凡六百、
独有婦喬死貞白・・・」。』(梧渓集)

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052 2010/10/29(金) 22:48:34 ID:tO7DppRpEE
馬(兵器)を舟に乗せて、運ぶ、移動させる技術が無かった為。
元寇が馬を引き連れて本土に上陸したかい?
そもそも元には「舟を作る」という基本技術すら無かった。
日本海や東シナ海は荒れるんだよ。
なぎの時など、年間に何十日も無い。
騎馬軍団に本土上陸を許していたら、今頃は中国の一部さ。
馬を持たない騎馬民族なんぞは泳げない水泳選手と同じ運命。
泳げる小学生にすらも当然のごとく負けてしまう。

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053 2010/10/29(金) 23:00:50 ID:ruD8aPjmWo
中国という国は20世紀にできた国だから
地理的にはチャイナとか他の言葉で呼んだ方がいいと思うんだよねえ
古代チャイナとか

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054 2010/10/30(土) 00:20:06 ID:gEQ82WTupg
4000年の歴史など存在しない。

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055 2010/10/30(土) 03:20:13 ID:991Ugj3dQU
>>52
誰に吹き込まれたか知らないが、それ全部デマだから。
馬なんて紀元前から普通に船に乗せて海を運んでいたわけで、
元寇当時の技術なら余裕。
それに、元は世界最大の海洋大国で、千艘単位で造船していたし、
日常的に日本海や東シナ海で馬の輸送をしていた。
その証拠に、馬の産地で有名な韓国の済州島に馬の牧場作ったのは、
当時この島を占領していた元なんだぜ。
馬を船に乗せて運ぶ技術がなければ、わざわざ海の真ん中に
馬の牧場作るわけないだろ。
当然、元寇でも騎馬軍団を大量投入してる。
でも、九州に上陸したモンゴル騎馬軍団は、鎌倉武士に手も足も出ず
敗れ去ったのさ。

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056 2010/10/30(土) 13:27:39 ID:vMA3VtemTc
たしかに馬はこぶなんてのっけてカイバやりゃいいだけだしなw
まあ輸送で上陸後すぐ使えるかどうかは知らんが
どのみち上陸に成功して陣地とってからのはなしだろう

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057 2010/10/30(土) 14:08:32 ID:/dFQ/5h6aI
その辺をわかってたのか結果オーライだったのか知らんけど、ちゃんと橋頭堡築く前に叩いた鎌倉幕府の戦法は間違いではなかったね

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058 2010/10/30(土) 17:27:28 ID:rPbdgxMvwg
一応、『元史』世祖紀の中で、元が千艘単位で造船してる記述をいくつか抜き出しておく。

至元五年七月丙子
「高麗国王王稙、其の臣崔東秀を遣し来りて言わしむ。兵一万を備え、船千隻を造らんと。」

至元七年三月戊午
「水軍七万余人を教し、戦艦五千艘を造る。」

至元十年三月辛未
「劉整、水軍五六万を教練し及び興元の金・洋州・汴粱等処に於いて船二千艘を造らんと請う。これに従う。」

至元十年六月
「癸已、勅し襄陽にて戦船千艘を造らしむ。」

至元十七年五月甲寅
「船三千艘を造るに耽羅に勅し材木を発してこれに給せしむ。」

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059 2010/10/30(土) 17:42:49 ID:vMA3VtemTc
そういえば黄河や長江なんてのもけっこうデカイ船が
必要になりますなあ

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060 2010/10/30(土) 19:29:25 ID:Jx4gHXe5Fs
>>56
例えば、第四回十字軍とかは上陸後すぐにビザンツ軍と交戦し、騎兵突撃で蹴散らしてる。
輸送距離はヴェネツィアからコンスタンティノープルまで2000キロで、対馬海峡の約10倍だぜ。
日本でも、湊川の戦いで細川が騎馬部隊の敵前上陸を行い、新田を敗走させてるな。
こういうこと書くと、「瀬戸内海と対馬海峡は違う」とか言い出す奴がいるかもしれんが、
実際は違いなんてない。
九州や四国の武士団はそのままの編成で倭寇となって、朝鮮半島でも暴れてるからね。
倭寇って実は騎兵の比率がかなり高く、中には騎兵だけて構成されていた例や、
5000頭以上の馬を有していた例もあった。
こうした事例からも、対馬海峡が騎馬軍団の侵寇の障壁なんかじゃないってわかる。

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061 2010/10/30(土) 20:43:48 ID:vMA3VtemTc
なるほど揚陸してすぐ使えるってわけか

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062 2010/10/31(日) 01:08:19 ID:8BB.59NL7M
「タタールのくびき」で死に物狂いになったロシア人に負け続けたのが没落の原因かと。
その結果ユーラシアの北部大半がロシア領に。

中国人(漢人)など第二次大戦前までは占領すらしていない。
万里の長城造って(完成が清の前の明の時代)その内に引篭って怯えていただけ。

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063 2010/10/31(日) 03:31:51 ID:vJnOyHSr.c
長城って満洲人の侵攻阻止に
ちったあ焼く煮たったの?

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064 2010/10/31(日) 18:04:14 ID:w076NDFlGw
>>63
役に立ったどころの話じゃねえよ
大砲でヌルハチぶっ殺されたりして
結局満州人は自力では長城の入り口、山海関を抜けなかった。
明の内乱が無ければ永遠に超えられないままだったんじゃないか?

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065 2010/11/13(土) 12:13:53 ID:xP5CYSnXSs
「中国と満州は別の国」って証拠を自分で千年以上かけて建造しといて、

「東北地方(=満州)は昔から中国の一部だった」もクソもなかろうに。

中国人って自分の国の歴史も知らないみたい。文化大革命等で知識人大勢殺されたからな。

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066 2010/11/13(土) 21:32:25 ID:WqHzJaVNHk
おお。良スレだ。

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067 2010/11/15(月) 09:59:31 ID:Fp2zW6IUQc
そろそろ誰か スレタイ自体がギャグになってることつっこんでやれよ

世界最強の遊牧民族の末裔は
いまやユーラシア大陸の東の果ての半島に残るのみとなってしまったが
世界征服の野望はいまも保ち続けているという

世界最強の遊牧民族の末裔はモンゴルであって朝鮮じゃないから

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068 2010/11/20(土) 14:29:07 ID:A2UkXA.QvY
いまの華北華中華南あたりをまとめてなんて呼べばいんだろか?
チャイナ亜大陸とかでいいのかね
インド亜大陸みたく

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069 2010/11/21(日) 20:03:09 ID:pGz..B2H1E:au
「万里の長城のうちがわ」 みたいな意味が入る呼び方で…
誰か?

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070 2010/11/22(月) 10:42:23 ID:NujsrTk.2M
「華」の地理的概念は魏の初代皇帝である曹丕が定めた
三国志の戦乱で十分の一になってしまった漢人を
今の西安周辺と河南省を足した地域に集め
これを「華」の地とした つまり「華」は非常に小さい

中国はもとから一つの国ではないし 
一つの地域でもないし 一つの民族ですらない
故に そこを一括して表現する言葉はない

強いて言うなら「中原」
もしくは禹の治水に由来する「夏」ぐらいしかない

そもそも あらゆる意味でばらばらの地域を
軍事力でまとめただけであり
民族的にも地理的にも異なるので
一つの呼称でまとめうると思うのが誤りであり
中共政府の利益に従うだけのものであろう

例えていうならアフリカの後頭部みたいなとこは
まとめていうと何ていうのと同じ意味のないことである

インドはもともとユーラシアとは別大陸であり
大移動によりくっついたのだから亜大陸で正しい

http://www.geocities.jp/mapqin...

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071 2010/11/22(月) 12:35:12 ID:RqAZARnZOg
削除(by投稿者)

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072 2010/11/28(日) 10:10:39 ID:tmQyBmiszE

 漢民族

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073 2010/12/12(日) 20:56:38 ID:JOtBxKVqno
なんだかんだで舵取りうまくない?モンゴルって

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074 2010/12/18(土) 01:14:09 ID:nt4Hw4qK6E
中国は昔から「漢民族」の国家。

でないと
五胡十六国等の歴史区分がありえない。
万里の長城を千年以上に渡って建設する理由も無くなる。

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075 2010/12/19(日) 22:32:08 ID:xBaDks/fp2
なんでモンゴルに謝罪を求めないんだ

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076 2010/12/20(月) 10:20:20 ID:JReJDFvKy6
元はモンゴル人が支配する国家だものねえ

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077 2011/01/15(土) 13:26:21 ID:7PdktTc0ok
>でも、九州に上陸したモンゴル騎馬軍団は、鎌倉武士に手も足も出ず
>敗れ去ったのさ。
あれって軍装を見る限りじゃ中国兵の騎兵って感じだけどね
モンゴル兵の比率ってトルコ兵が主だった欧州戦とかと比べてもずっと少なかったと思うよ

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078 2011/01/15(土) 16:05:46 ID:3oMkO8gTHc
元寇の元軍は大半が朝鮮・中国連合軍だと思う

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079 2011/01/15(土) 17:17:41 ID:qq/EXtlnIY
>>77>>78
いや、朝鮮は元軍の中心になれるほどの動員力が無いから無理。
元寇の元軍は、当時のモンゴル軍の標準編成だよ。
蒙古襲来絵詞には中東の集史の挿絵に描かれてるモンゴル騎兵と同じ鎧を着たモンゴル騎兵も描かれてるし。
更に、日本側の戦利品の中には、モンゴル軍が欧州遠征で獲得したと思われるヨーロッパ製らしき兜もある。
モンゴル騎馬軍団が鎌倉武士に手も足も出なかったのは間違いない。

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080 2011/01/23(日) 00:44:57 ID:Csi6Lx3FHA
「清」の満州人は謝罪どころか民族浄化されちゃったな。。

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081 2011/01/27(木) 00:00:00 ID:zI5jzi.ANc
文永の役って中国侵攻と同時期の作戦じゃん。
モンゴル軍の用兵を考えれば、中国兵の騎兵は日本じゃなく土地勘のある中国戦線に投入されるよね。

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082 2011/02/18(金) 10:40:15 ID:dZHLVI4cJI
グローバリズムの本質ってのは、敵味方関係なく、それぞれの利益優先を助けてやる事にある。
そのなかで自己ももがいて頑張れば意のままに世界を掌握できるけど、下手すると・・・

没落のアメリカになる。

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083 2011/03/06(日) 17:14:43 ID:zBsjmULjcM
ページのヘッダーに出て来る
http://www.amazon.co.jp/dp/406149306X?tag=ppqxnp-22&ca...
この本買ったけどすごく面白かった
杉山正明はすごい

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084 2011/11/22(火) 12:42:45 ID:sPXXactJjs
良スレだ。

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085 2011/11/22(火) 21:35:34 ID:dZPAu2sUGA
>>83
杉山正明の本のデータ量は凄まじいね
西欧的な解釈じゃないモンゴル論に初めて触れて自分も感動した
でもモンゴルの没落については明快な理由が見出せなかった
自分が思うにモンゴルというグローバル経済システムが
イスラームに変容していった結果がモンゴルの没落なのかなと考える
中央統治型の恐怖政治で支配していた時代には
システムが相互信頼関係を保持できていたものが
権力の当時力が弱まったせいで経済に停滞が生じて景気が悪くなり
イスラームという信仰で結びついた経済圏に勢力を奪われてしまった
みたいな感じ

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086 2011/11/29(火) 23:06:22 ID:Zfu8Pl/a6I
>>80
だな

遊牧やらパオやらを禁止されて
鍬渡されて「今日からおまえは定住農民だ」
て強制されたからな

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087 2011/12/25(日) 21:18:35 ID:Tfpn9A07Pc
何故、没落したかって?

朝鮮と関わっちまったからだろ

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088 2011/12/28(水) 02:27:19 ID:pxwbRZljks
>1
 遊牧民族の強さは「人が生きるには余りにも過酷な地域に生きていたこと」があるだろう。
定住さえ許されない地域、生産性の低い文化、強者のみが生き残る環境。
それらが維持されている限り獲物を射抜く為に馬を駆り続けることができた。

 しかし、それも富や豊かな土を手に入れた途端に遊牧民は強さを失う。
定住できるような地域、生産性の高い文化との接触、凡人が平和に暮らせる環境。
これでは彼らが今まで狩っていた「農耕民族」だ。
おまけに奪う為に攻めているだけで良かった日々は、奪ったものを維持する為の守る日々へと変わる。
 遊牧民は遊牧民として生き続ける事を止めたとき、遊牧民ではなくなる。
そんなわけで、極東アジアの半島に「定住」している民族は遊牧民ではない。

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089 2011/12/28(水) 03:07:51 ID:hGfuCHJat6
>>85
経済面ではイスラムから始まった科学分野の成長と大航海時代の新大陸発見で、商業のキャスティングボードを海路が握ってしまったのが大きいね
それと長年の定住で支配者層のモンゴル人が現地に同化してモンゴル系貴族となってしまったので、モンゴル人という別集団による統治から
先祖がモンゴル人の人たちが支配者層にいるって状態に変化して、相対的にモンゴルのにおいが消えてしまったってのがあるので
没落したと言うよりは、影響力を維持したまま形だけが変わったと言うのが適当なのかもしれないね
現にロシア帝国の前身のモスクワ大公国なんて国内の貴族層の半分がモンゴル系貴族だから、一旦チンギスの血を引く一族に王位禅譲をして
改めて禅譲してもらうーなんて手間のかかる事もやっちゃってますし

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スレッドタイトル:世界最強の遊牧民族はなぜ没落したのか?

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